一若手心臓血管医として思うこと

2017-12-11

はじめまして、岸和田徳洲会病院 心臓血管外科に所属しております、若林 尚宏 と申します。
以前より北原先生や太田先生など数々の先生方が投稿されるこのブログを楽しみに拝見しておりましたが、先日札幌で開催された胸部外科学会にて、旭川医科大学の紙谷先生の御高配により、その北原先生と太田先生と御話させて頂く機会があり、このブログへの参加を御誘い頂いた次第です。

ブログを書くのは初めての体験ですが、心臓血管外科を愛する大勢の方と知り合える良い機会だと思い、投稿させて頂きます。

私は卒後6年目で、現在は大阪の岸和田徳洲会病院で勤務しておりますが、生まれも育ちも石川県金沢市です。
出身大学も金沢大学であり、卒後3年目までは渡邊 剛先生の下、金沢大学病院やその関連病院で学ばせて頂きました。その後4年目からは、縁あって東上 震一先生に御指導頂き、今に至りますが、来年度からは、これも縁あって、旭川医科大学の紙谷先生に御指導頂く予定となっております。

心臓血管外科医にとって卒後6年目というのは、まだまだ駆け出しもよい所ですが、当人たちにとっては、少し焦ってくる時期ではないでしょうか。術者として多くの症例を経験しはじめ、どんどん成長していく方もいれば、一方そのような他者の話を見聞きして、自分の立ち位置に悩み迷う人も多いと思います。
私はどちらかというと後者の立場と自認しており、加えて、先日の胸部外科やCCTでも、TAVRやstent/stent-graftをはじめとしたdeviceの著しい進歩に感嘆する一方で、心臓血管外科医の立場は着実に狭く、厳しいものになっているとも感じました。

しかし、胸部外科でのKuan-Ming Chiu先生のMICSや、CCTでの大北先生のlive TAR(コメンテーター「吻合のポイントは?」→大北先生「縫うだけや。」→(たぶん)多くの参加者「え?いやそうじゃなくて…」)、渡邊先生のdaVinci MVPを聴講し、また諸先生方の言葉を聞く中で、忘れかけていた一つの事を再確認することが出来ました。
それは他のトップランナーの先生方にも共通する、「自分で未来を切り開いていく」こと。先日のNHKプロフェッショナル仕事の流儀にて整形外科医 杉本 和隆先生が、同じく医師である祖父から言われたという「壁医者になるな、ヤブ医者になれ。」という言葉にも通ずると思いますが、自身の中に壁を作ることなく、また今いる環境(Kuan-Ming Chiu先生曰くcomfortable zone)に満足せず、自身で道を作っていく気概が今後の心臓血管外科医には必要だと身に染みて感じます。

故に私は、アメリカをはじめ海外に留学している先生方(特に現地で執刀医のポジションを勝ち取っている先生方)を尊敬しますし、また国内で同様に奮闘されている先生方にも尊敬の念に堪えません。そして自分もそうありたいと思います。

長くなりましたが、国内・海外で奮闘している同世代の先生方に向かって…ではなく、自分に言い聞かせるつもりで雑記しました。
読んで頂いた方々には、心より感謝申し上げます。

P.S.
岸和田徳洲会病院は、少人数ながら症例数が多く、一人当りの症例経験値が非常に高い施設だと思います。
(時には、人手が足りず(T)EVARや末梢血管は術者が単独で行う等、人が少な過ぎて逆に若手のチャンスが減るという現象が生じています。)
興味のある方は御連絡ください。

卒業年度:2008年
現在勤務地:シカゴ大学
所属:心臓胸部外科
役職:クリニカルフェロー

2016年の9月からシカゴ大学の心臓外科でフェローとして働き始めました。何かあればブログに書いていこうと思ってます。質問などあれば気軽に連絡ください。

メール:kitaharahiroto@yahoo.com

face bookアカウント:北原大翔~モテたい心臓外科医、米国へ渡る~

3件のコメント

  • OTA 2017-12-18 at 8:51 AM

    comfortable zoneから新境地に積極的に出て行く。深いですねえ。勉強になります。

    • KO 2017-12-20 at 7:17 PM

      僕の事っすか?

      • OTA 2017-12-21 at 11:48 PM

        もんじゃ焼きから明石焼きへの異動はcomfortable to comfortableに分別されるのではないでしょうか?

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