齋藤綾先生

留学施設:University of Western Ontario(London Health Sciences Centre : LHSC) カナダ

-新たな始まりへのこやし-

カナダでの臨床留学を修了し日本で仕事を再開してからようやく1年が経とうとしている。
留学体験に関する情報について日本に帰国する前から執筆しようと努力をしていたが、なかなか考えがまとまらず今日に至ってしまった。日本での医療活動を再開しようやく物事が見え始めた今、自分の留学経験が何であったかゆっくり考えることが出来たので簡単に記す。

 自信の留学先はカナダ・オンタリオ州のUniversity of Western Ontario(London Health Sciences Centre : LHSC)であった。所属先は心臓外科および臓器移植科(心臓移植フェローとして)であった。予算(給料など)に限りがあるため心臓外科フェローは常に1人のみ、国籍は問わないポストである。実際に、自身の前任者は二人続けて日本人であったが、カナダ人が着任することもある。
まず、私の所属先の一つである臓器移植科について簡単に紹介する。肝移植・腎移植外科そして心臓移植の3チームが主軸であり、外科・内科が協力しあい患者管理を行う。さらにレシピエントコーディネイター・フィジオセラピスト・薬剤師もチームの1員として深く患者管理に関与する。フェローの仕事は各チームとも同様で、ドナーが発生した際に臓器摘出へ向かい臓器を持ち帰るとそのままレシピエント側の手術に入る。周術期管理は外科サイドが受け持ち、慢性期に移行した頃には内科管理へ移行する。外来はどのチームも内科が受け持つが創部のトラブルなどについては(コンサルタントへ上申はするものの)フェローのレベルで対処することが殆どである。各臓器外科のフェローはカナダ人やメキシコ人・イギリス人・サウジアラビア人など国籍が多彩で、和気藹々と楽しく仕事をしていた。いつも大体同じメンバーで臓器摘出に向かい(即ちみんなが’always on-call’)、大体同じ頃に移植を終えてそれぞれの手術室から疲れ切って眠そうな顔をして出てくるなど、まさに運命共同体であった。それぞれのフェローが自国の医療制度とカナダの制度を比較した上で好き勝手に「この点は自国が優れている」だの、「あの点はカナダもなかなか良い」など(時にはこそこそと、時には大胆に)果てしないお喋りをするのは、お互いに楽しみの一つであった。立場などにかかわらず発言の自由があり、議論はいつも活発であった。私の所属していた臓器移植科は、(欧米では存在しないだろうと高をくくっていた私の予想に反して)究極のグループ診療体制が敷かれていたと思う。もともと、LHSCは29年前にカナダで最初に臓器移植部を始めた病院で、長年かけて熟成されたチーム医療を現在でも提供している。患者さんの満足度は高いようである。
心臓移植外科を行う施設として難をいえば、LVADがいまだに導入されておらず重症心不全治療という観点からは体制が不十分であることであった。カナダにおける医療財政も決して余裕があるわけではなく、医療器材・設備も決して贅沢ではない。LHSCではロボット手術へ基金を費やす方針をとり、その他への設備投資は断念した経緯があるようであった。そうはいえども歴史ある臓器移植部は今でも健在で、猛烈に勢力を伸ばしているトロント大学に引き離されないように努力する姿勢が伺われた。

私のもう一つの所属先、心臓外科についても多少の説明を加える。コンサルタントが計8人、各自が独立しており年間およそ200例の手術症例をこなす。日常の細かな事務仕事は各の秘書が一手に引き受け、お昼休みの時間もろくにとらずに働いていた。この「エキスパート」秘書さん達の働きにも目を見張るものがあり、うらやましくも思えた。レジデントは6年一貫教育で、この間に心臓外科以外にも血管外科・CCU・麻酔・集中治療室・アカデミックイヤーなどのノルマが課される。心臓外科には平均して1-2人のレジデントが配属されるが年によってはゼロのことも4人のこともある。彼らが日常の病棟患者管理を一手に引き受け手術室と病棟と行き来をあわただしく繰り返す。心臓外科のトレーニングについては、1-2年目で開胸操作、4年目以降で人工心肺装着から始まり各種手術の前立ちとCABG(on-pump, arrest)やAVRの術者を経験する。基本的に週の4日は日中を手術室で過ごし夕方以降を病棟業務(新入院の対応・術前指示・同意書取得・術後患者管理、在宅on-call)に当てている。仕事量は非常に多く、朝6時から集中治療室の患者チェック・カルテ書きに始まり、病棟回診・オペだし(朝8時)・手術手洗い・急患対応、術後は病棟の残務処理(遅ければ夜中までかかってしまう)・on-call業務(当番制)である。ナースプラクティショナーが複数人おり日中の病棟業務(処方・簡単な包交・退院や転院の手配など)を行っていたため、雑用という意味では日本の研修医よりやや少なめか。レジデントだけではon-callをカバーしきれず、サージカルアシスタント(手術室助手)がon-callのスケジュールに組み込まれている。フェローもこれら一連の業務に組み込まれるわけであるが、その扱い・立場は不安定なものであった。レジデントがいなければ手術に入りその代わりとして病棟業務を手伝いon-callもとる。レジデントが沢山いるときは手術にはなかなか入れずその分病棟業務も「免除」される。全ての主導権・優先権はレジデントにあり、フェローはいわば幽霊的存在であった。
ここからは私個人の留学生活に関する話である。前述の事情を理解せずに留学生活を始めた当初は、アジアから来たnon-Canadianに対する彼らからのやや不親切な扱いと、「どこまでトレーニングの機会を要求して良いのか」に対する私自分の認識のズレおよび焦りが相まって、ストレスの多い日々を送っていたように思う。可能な限り外科手術トレーニングを自分のものにしようと必死だった当時のレジデント達にとって私とは利害関係が成立するため、その攻撃は容赦なく直接対話・手紙・メールなど様々な方法で続き、実際の私への手術室の割り当ても微々たるものであった。コンサルタント(特にchief consultant)は忙しい中でいつも仲介役に入ってくださり本当に申し訳なかったと思うし、やっかい事を無視せず時間を割いてくださったことに非常に感謝している。手術室での割り当てが少なかった分、心移植に関する昔のカルテを読みそぼって患者データをまとめるなどに時間を費やしつつそれなりに頑張っていたが、半年ほど経過すると流石の自身も鬱状態に陥った。一人でカナダへ渡ったため愚痴をこぼしたりするような息抜きの空間が当時まだ確立されておらず、不眠・食欲不振・無気力がひどくなりカウンセリングを受けた時期もあった。トロントと異なり私の住んでいた街は人口40万人の小さな地方都市(しかしカナダ国内ではトップ10に入る規模の都市)であったため、仕事の合間をぬって一人で気楽に試せる娯楽が殆どなく病院・自宅以外での発散場所が無かったことも影響したかもしれない。1年が経とうとする頃には留学を中断し帰国することも真剣に考えた。しかし、五分五分のチャンスをかけ2年目も続投することを決心した。これは、いつも遠くから心配してくれていた日本の友人・知人・家族そしてカナダ現地で心配してくれていた友人・同僚など存在・助言があっての決意であった。実際、病院の同僚の多くはとても親切でよく心配し面倒もみてくれた。2年目以降はレジデント達との関係も良好であり(私自身もフェローとしてのわきまえを改めたから?)外科手技を覚える機会も多く、安定した留学生活を送ることが出来た。カナダ国内の学会発表も何度か経験することが出来た。回数を重ねる毎に読み原稿を棒読みせずに発表できるようになっていった自分の変化に気付いたときは、やはり嬉しかった。留学期間中に得ることが出来た手術症例の経験数は2年間で執刀数 126例 (CABG 104例、AVR 16例、心移植6例 他)、第一助手 235例であった。この症例数が留学中の経験数として多いのか少ないのかは私の知るところではないし、症例数だけが留学経験の充実度を語る尺度では無いと思う(症例数が極端に少なければ別だが)。この間に見聞きした諸外国の医療事情に関する知識、日常を通じて経験した人間模様とその心理、そしてカナダ生活経験そのものが今後にいかように活用されるかで、留学経験に対する評価ができあがっていくように思われた。

以上、脈絡のない1個人の経験の範疇内でのご紹介にとどまってしまいましたが、今後留学を考える先生方への情報となれば幸いです。機会がございましたらご質問・ご意見などもうかがいたいと存じます。