田端 実 先生

留学施設:Brigham and Women’s Hospital
留学施設: アメリカ合衆国ボストン
留学期間:2004年7月から2007年6月
留学に必要だった資格:ECFMG, USMLE STEP3
留学中の立場: クリニカルフェロー(2004-2006)、クリニカルリサーチフェロー(2006-2007)
留学施設の特徴):1000床程度の総合病院であり、ハーバードメディカルスクールの基幹教育病院でもある。成人心臓外科は年間約1400例の手術症例数がある。
留学中の経験症例数
術者:約250例
第一助手:約150例

体験談
・留学までの道のり
医師5年目(2003年)で心臓外科を始め、その当初から執刀経験ができるアメリカでの臨床留学を考えていました。コネやツテはなかったので、主にインターネットを活用して情報収集をしていたところ、7月頃にCTSNetでBrigham and Women’s Hospital (BWH)のクリニカルフェロー募集情報を見つけました。高名で実績のある病院であり、ここしかないと思い、翌日には手紙とCVを郵送しました。推薦状3通をお世話になった先生方からいただき、後日郵送しました。しばらく待てど返事がないもので、8月になってプログラムディレクターにEmailをして、「BWHでのフェローシップをどうしてもやりたいので、来月にでもぜひ見学に行きたい」と強い志望を伝えたところ、インタビューと見学に行くことになりました。9月に夏休みを利用して、病院を訪ねました。インタビューは非常に好意的であり、根掘り葉掘り質問されることなく、あちらからボストン生活やフェローシップについての説明がほとんどでありました。海外の病院見学はそのときが初めてで、非常に気疲れしたのを覚えています。ただ、実際のフェローたちと話して、BWHが充実したトレーニングを受けられる場所であると確信しました。12月に幸運にも採用通知をいただきました。
そこからは、ビザとライセンス書類との戦いです。これらの手続きは非常に効率が悪く、時間がかかり、何度も病院や大使館に問い合わせや催促をする必要がありました。ビザはアメリカに旅立つ前日にようやく発行され、アメリカ大使館最寄の赤坂郵便局に電話して、局留めにしていただき直接取りに行きました。郵便局の方がとても親切に協力してくださったのを覚えています。

・留学はじめ
現地の住宅もインターネットで探して申し込んでありましたが、行ってしばらくは入居できず、アパートメント内のゲストルームで過ごしました。まったく異なる環境での生活立ち上げはストレス満載でしたが、同じアパートメントに住む日本人の先生らに助けられながら、何とかなりました。7月1日に仕事が始まりましたが、やはりまず苦労したのが現場の英語です。それなりに英会話はできるつもりでしたが、医療現場の早い会話、複数での会話、電話での会話に大変苦労しました。最初は正直留学生活が嫌にもなりましたが、半年を過ぎた頃からようやく慣れてきたと思えるようになりました。

・臨床経験内容
1日の流れとしては、毎朝6時からフェローが手分けしてPAと病棟回診をします。その後担当する手術のアテンディングと手術の方針を話し合って、8時頃から手術。1日1-2例の手術に入って、手術のないときはアウトフェロー(後述)のサポート。帰宅時間は手術次第ですが、午後6-10時頃とばらばらで、真夜中になることもありました。 
6人のフェローがおり、チーフフェローが毎朝症例を割り当てます。正規の胸部外科レジデントが優先ですが、1日6-8件の手術があったため、十分な症例数を経験することができました。心不全と大動脈症例が少なかったのですが、それ以外の症例は豊富でした。様々な場所でトレーニングを受けたアテンディングがおり、多様な手術方法を学ぶことができました。フェロー執刀機会も多く、1年目は80例程度、2年目には170例程度の執刀機会がありました。フェローシップを延長して2年にしたことは非常に有益であり、2年目は信頼を得て、困難な症例に指名されることや、チーフ外科医の低侵襲手術に優先的に入ることができました。当時のBWHにはアウトフェローという役割が6週に1回あり、その1週間は手術なしでずっと外回りをするという地獄の1週間でした。ICU、病棟、外来、他科からのコンサルト、術前患者のチェック、緊急患者の受け入れや手術の手配、他病院や薬局、患者からの電話相談、などなどその仕事量は尋常ではなく、2年間で16回のアウトフェローをやりましたが、英語に慣れた後もこれだけは辛い仕事でした。ただ、アウトフェローを通して多くの症例を学び、また英語でのコミュニケーション能力も格段にアップしたことは事実であり、今ではよい経験であったと思えます。

・臨床研究経験
BWHの心臓外科はデータベースがとても充実していたため、アイデアさえあれば簡単にリサーチができました。文献サポートも充実しており、主要文献がネットで見られることはもちろん、マイナー文献でも病院図書室の有能な司書がすぐに取り寄せてくれました。また、隣接するハーバードメディカルライブラリーも自由に利用できました。クリニカルフェローの間も積極的にリサーチを行っていましたが、本格的にクリニカルリサーチをしたいと考え、3年目はハーバード公衆衛生大学院でクリニカルリサーチの方法論を学びながら、BWHでクリニカルリサーチフェローとして働きました。そのような立場も前例がなかったようですが、こちらの熱意を伝え、Dr. Cohnらのサポートにより実現しました。リサーチフェローとしての1年間も非常に充実したものであり、10本超の論文を発表することができました。

・仕事以外の生活
ボストンは小さな町でやや退屈ですが、世界中から優秀な人材が集まっています。国籍、業界を問わず色んな人と交流する機会があり、それが一番の収穫であったと言っても過言ではありません。

写真:BWHでアテンディング指導のもと執刀する筆者(右側)