吉田昌弘先生

留学施設:Children's Hospital of Pittsburgh, Cardiothoracic Surgery

留学施設:3705 Fifth Avenue, Room 2820, Pittsburgh, PA 15213, USA

留学期間:2008.7.1-present

留学に必要だった資格: Institutional License, O-1 Visa

留学中の立場:Clinical Fellow (Children's Hospital of Pittsburgh) 兼、
Clinical Instructor (University of Pittsburgh)→Assistant Professor (University of Pittsburgh)

留学施設の特徴:
開心術 300-400例/年くらい?
心、肺移植20例/年くらい


ピッツバーグ小児病院心臓胸部外科での留学経験

 2008年7月1日付けでピッツバーグ小児病院心臓胸部外科で臨床留学させて頂いております。当初は小児人工心臓の開発プロジェクトのリサーチフェローにという話でしたが私のリサーチ経験不足?のためか臨床ポジションであるクリニカルフェローに変更となりました。米国で臨床を行うためにはECFMGかO-1ビザという特殊なビザが必要で、私の場合はO-1ビザの取得が条件となっていました。その取得にはやや苦労しました。

 これまで私は数えるほどの海外での学会発表以外、海外の経験がほとんどありませんでした。そのため2008年6月24日、不安だらけで関西国際空港を発ちました。ピッツバーグ空港に到着した時に、全ての連絡先が入ったコンピューター入りの鞄をロストしてしまい、途方に暮れた事を昨日の事のように覚えています(後日発見され滞在先のホテルに届けられました)。アパートの契約や銀行口座の開設など生活の準備で忙しくした後、 6月30日、UPMC(University of Pittsburgh Medical Center)のThoracic and cardiac surgeryのオリエンテーションがありました。当然全て英語で話され、内容はほとんど理解できないまま終わりました。翌日は私の所属部署であるピッツバーグ小児病院(Children’s Hospital of Pittsburgh of UPMC)に行きました。Cardiac Critical Care Unit (部長 Recardo Munoz先生)に向かいそこで初めてCardiothoracic Surgeryの部長Victor O Morell先生に会うことができました。メールでは何度かやり取りをしてきましたが実際に顔を合わせるのは初めてでした。私は片言の英語で挨拶をし、彼は笑顔で優しい言葉をかけてくれました。その日は新生児の大動脈離断(新生児期に修復を必要とする複雑心疾患)に対する開心術が1件ありました。その症例は術中に冠動脈の走行異常が判明したのですが、Morell先生の術中の手際の良さと判断の早さを実感する事が出来ました。Morell先生の第一助手の機会なんてまだまだ先の事と思っていましたがいきなり2日目にしてやってきました。日本では沢山第一助手をやってきたため技術的には問題ないと思いましたが、果たして術中のコミュニケーションが取れるだろうかとやや不安がありました。しかし日本での経験が生かされ、何とか無事に乗り切る事ができました。その後はほとんどの症例で第一助手を任されるようになりました。



7月6日、これも予想よりかなり早くに移植の機会に恵まれました。しかも心肺同時移植!Morell先生から電話がかかってきて分かりやすい英語で心肺移植があるから来るようにと言われました。言われた時間に行ってみると外科医は私とMorell先生しかいませんでした。「おーこれも私が第一助手か」と心の中で驚きました。日本では心肺移植はもちろん心臓移植の第一助手すら経験はありませんでした。(国立循環器病センターで行われた、心臓移植本邦再開第二例目は私がシニアレジデントをしていたときでしたので手術場で立ち会う事が出来ましたが)患児の心肺が摘出された時は衝撃的でした。普段見慣れている縦郭、胸腔内が空っぽになってしまったので。その後到着した心肺を植えて無事、私を第一助手とした心肺移植が終わりました。

 英語はなかなか慣れず、毎朝の回診でのプレゼンテーションに四苦八苦している頃にファロー四徴の症例がありました。その症例は右室流出路にcoronary arteryが走っていたためtransannular patchを選択する事ができず、やむなく12mm径の人工血管で右室肺動脈間に導管を吻合しました。この時にMorell先生に日本ではこのような症例の時にはどうしていたかを尋ねられました。兵庫こども病院時代に私が開発した二弁付きPTFE導管の話をしました。すぐに作って見せるようにと言われ、その日の夜に家族に冷やかされながら、アパートの食卓で20mmの人工血管を用いて作成しました。翌日Morell先生に見てもらったところ大変気に入ってもらい、是非症例があれば使ってみたいとおっしゃられました。10月6日、その日がやってきました。姑息的右室流出路再建を受けた8歳の女児の修復術に二弁付きPTFE人工血管を使うとの事でした。手術室の患児の傍らで私は緊張して作成しました。CHPにはその頃コロンビアや中国からの見学者が来ており彼らの視線を感じながら作成しました。Morell先生は植えられた後、経食道エコーで弁が動いているのを確認され「I like it, Masa.」と言ってくれました。その後計27例に植えて頂きました。平均10ヵ月ほどの観察期間ですが今のところ良好な経過を辿っています。2009年11月のSouthern Thoracic Surgical Association Annual Meeting (STSA)で発表させて頂きました (Figure 2)。このすばらしい図はAngelo Ruttyというペルー人医師の友人が描いてくれました。彼の描いた図を中心としたMorell先生執筆の教科書が近日出版されるようです。

 ピッツバーグ小児病院にはもう一人attending surgeon、Peter D Wearden先生がいます。彼は補助循環、人工心臓のスペシャリストで、彼のもとでPediaFlowという小児用補助人工心臓が開発されています。PediaFlowが埋め込まれた羊を見学したときは感動ものでした。臨床応用にはまだしばらく時間がかかるようですが。ピッツバーグ小児病院は彼の存在があってか小児の心不全患者も積極的に受け入れています。私が来てからBerlin Heartという小児に使用可能な補助人工心臓を7例に、Thoratec PVADという大人用のものを3例の学童に、Levitronixというcentrifugal typeのものを1例に装着しました。いずれも日本では認可されていないdeviceで貴重な経験を得ました。

Kerem Pekkan教授との出会い
STSAの発表のためにどうしても私の開発した導管の理論的根拠が必要でした。理論的には絶対の自信がありましたが、私の経験だけがその根拠では確かにその信頼性に欠けると感じたからです。そこでピッツバーグで主に再生医療の研究を長くされている先生に相談したところカーネギーメロン大学にKerem Pekkan教授が居るという情報を得ました。彼はComputational Fluid Dynamicsの権威で、フォンタン循環モデルを用いて血流をシミュレーションした論文を発表していました。2007年のJTCVSにその論文が報告された時に一度読解してみようとしましたが、当時の私にはまったく理解できず、ただただこんな論文が出る時代になったのかと感心した事を思い出しました。その彼がピッツバーグに居るという。早速、彼の研究仲間の日本人研究者に連絡を取ってみたところ研究内容をすぐ送るように言われました。その日の夜のうちに自分の臨床データとコラボレートしたい事を英語でまとめて送りました。すぐにPekkan先生から返事があり翌週プレゼンテーションをして欲しいと言われました。2009年10月14日、カーネギーメロン大学のバイオエンジニアリングの研究室に一人で乗り込みました。今では何をしゃっべたか定かではありませんが、Pekkan先生はじめ助手の方達も熱心に聞いてくれているのを感じました。研究発表までにこちらの必要としているシミュレーションは出来るとの事でした。まずは成功です。しかし折角すばらしいチームとコラボ出来るチャンスだったので、いくつか他にも研究アイデアを話して、その日のプレゼンテーションが終わりました。その後ラボを見せて頂き研究室を後にしました。その一週間後にすばらしい研究結果が返ってきました。私の予想した通り曲がった導管の血流は小湾側が遅く弁を開くエネルギーが少ない事が証明されました (Figure 3)。私の発表に見事に間に合わせてくれたのです。その後も彼のラボとの右室流出路導管のデザインの研究が進められています。

 こちらに来てまだ2年足らずですが、本当に沢山の事を経験させて頂いています。この間の手洗い症例数は700例を超え、その内私の執刀数はペースメーカー装着なども含めて140例で、開心術は25例 (ASD 17例、ECD 4例、PAPVR 3例、cor triatriatum dexter 1例)、BT シャント4例、ECMO装着10例でした。また移植を学ぶ事も本留学の目的の一つであり、20例の心臓、肺もしくは心肺の移植を第一助手させて頂きました。また10例のprocurementのassistを行った後、最近独り立ちさせてもらい、UPMCの移植チームの一員として医師は私だけで(もちろんコーディネーターを伴って)、7例の心臓摘出を行いました。摘出にはprivate jetに乗って全米各地に行くので、摘出後の緊張が取れた後はちょっとしたロックスター気分です (笑)。

 私には妻および12歳の娘、9歳の息子がいますが幸い皆 アメリカの生活が気に入っているようです。学校ではESL(English as Second Language)のクラスで何とか英語を身につけようと頑張っています。またそのような人たちに大変丁寧に接してくれる先生や友達に恵まれました。皆元気でやってくれているおかげで私は仕事に集中ができ、また家族がいてくれるからこそ休日には公園でテニスやサッカーをしてリラックスできます。家族には本当に感謝しています。また息子のサッカーチームのアシスタントコーチを引き受け、毎週末現地のサッカー小僧達と触れ合い、楽しい時間を過ごしています(Figure 4)。間違いなく、アメリカに来て一番上達したのは手術ではなく、この年齢(とし)から始めたサッカーだと思います(笑)。


 私のアメリカ留学はポジションの獲得や最初の生活のセットアップなどの苦労はありましたが決して日本では得られない経験が出来るすばらしい機会となりました。この機会を与えてくれたMorell先生、Yoshiya Toyoda先生と無理を聞いて頂いた兵庫県立こども病院丸尾猛院長および大嶋義博先生、兵庫こども病院での手術修練の機会を与えてくれました大北裕神戸大学教授、山口眞弘前兵庫こども病院副院長、国立循環器病センター時代にお世話になりました八木原俊克先生、留学のサポートをして頂きました静岡こども病院の坂本喜三郎先生はじめ快く送り出してくれた多くの皆様に言葉に言い尽くせないくらい感謝しています。また留学に際して金銭的サポートをして頂きました上原記念財団様、英会話だけでなく欧米人の考え方など多岐に渡り長年サポートしてくれた友人マイクベネット氏にもこの場をお借りしてお礼申し上げます。

晴天の霹靂
2009年11月のSTSAの学会の後、自分ではまずまずの発表が出来たかなとほっとしていた時に、Morell先生が私を呼び止めて話を始められました。私のgoalは何なのかと、日本に帰る事かと。私にはまだまだアメリカでMorell先生の手技など学びたい事が山ほどありました。Pekkan先生とのコラボも折角始まったばかりだし。その旨を彼に伝えると、彼から信じられない言葉が「来年からAssistant Professorだ」と。一瞬耳を疑いました。私の hard workが認められたとの事。小児用補助心臓のPediaFlowの開発も手伝ってほしいとの事でした。心臓外科医としてこんなに嬉しい事はありませんでした。自分が日本で開発した弁がアメリカで認められ、さらにじっくり研究、手術修練する機会を与えてくれたのだから。その日は朝まで興奮気味で眠れませんでした。 

今後アメリカで、自分がどのような心臓外科医になって行くのか今は想像できませんが、自分が描いていた夢に近づいているのだと信じて頑張って行こうと思います。2年も迷惑をかけたうえ、兵庫こども病院を退職する事になりましたが、私の手術を受けて頂いた沢山のこども達がこの先もずっと元気で居られる事を願っています。そしていつの日かアメリカで学んだ事が日本の子供達に活かせるように精進し続けようと思います。

日本の若い先生でピッツバーグ小児病院心臓外科に興味のおありの方はいつでも連絡下さい。

Masahiro Yoshida, MD

Cardiothoracic Surgery, Children’s Hospital of Pittsburgh

45th Street & Penn Avenue
Pittsburgh, PA 15201 USA
1-412-692-5218
1-412-692-5817(Fax)

http://www.ctsnet.org/home/myoshida

(Figure 1) Morell先生および手術室の看護師さんたちと。
(Figure 2)  私のデザインした二弁付きPTFE導管の図。Dr. Angelo Rutty作。
(Figure 3) Pekkan先生のCFD。曲がった導管では小湾側の血流速度が遅くなる。
(Figure 4) kids vs parentsのゲームにて。
(Figure 5) ピッツバーグ小児病院にて。Fontan術後の患児(リンカーン君)と。