板垣 忍先生

Mount Sinai Medical Centerでの3年半を振り返って

2007年夏よりNYにあるMount Sinai Medical Centerで心臓外科の研修を行っています。僕は2003年卒で卒後に1年間カナダで語学留学を行いましたので、日本での医者としての経験は3年のみでの渡米でした。これは心臓外科の留学としてはだいぶはやいと言えると思います。他の先生方とオーバーラップする部分も多いですが医師キャリア早期での留学の一例として参考にしてください。

心臓外科に進路を決めたのは大学5年生の冬でしたが、学生時代は先見の明がなく英語は入学以来放置されたままでした。医師としての長いキャリアのなかでコミュニケーションツールとしての英語は必ず必要になるだろうと思い、両親、周囲の理解もあり卒後1年間はカナダで語学留学を行いました。これは当時かなり勇気のいることでしたが今の英語の基礎はすべてこの1年で築きましたし今振り返ってみても人生を変える大きな1年でした。帰国後は米田先生に憧れて京都大学心臓外科に入局。同僚、先輩とも猛者ぞろいで大きな刺激を受けました。関連病院で1年半一般研修、三菱京都病院で1年半の心臓外科研修を行い開心術100、末梢血管40例程度に手洗い、一通りの心臓血管外科手術と周術期管理を経験できました。手技としては末梢血管(透析シャント、下肢バイパス、終盤はAAAも)は術者として、開心術では主に第2助手として参加、静脈採りと開閉胸を学びました。まだ経験が浅い分すべてが新鮮でしたし、確実に成長している実感もありましたから日本で行っていた研修に対してまったく不満はありませんでした。USMLE Step1,2CKは心臓外科の研修の開始前に合格しておりいつかは留学するんだろう、と漠然とした思いはありましたがStep2CSに合格すると、一気に留学への思いが高まり駄目もとで試しにいくつかのプログラムにCVを送ってみました。アメリカでは心臓外科の研修ははやくても6年目からですから当時まだ3年目の僕は当然すべて門前払いでしたがなぜかMount Sinai Medical Centerからだけは面接に呼んでもらえ採用してもらいました。心臓外科はどこでも人手不足ですし、非正規フェローの採用は時期も適当で入れ替わりも激しいので、日本である程度の一般外科の経験と1,2年の心臓外科の経験があれば十分に採用してもらえる可能性はあります。

Mount Sinai Medical Centerはニューヨークのマンハッタンにある病床数1200床の大学病院です。アメリカ最富裕層の住宅地域であるUpper East Sideと最貧困層ハーレムの境界に立地しており患者のニーズもさまざまです。心臓外科はもともとは大動脈外科医Dr. Grieppの施設として有名でしたが、後任としてDr. David Adamsがチーフとして着任し、以後は外科医としてはもちろん政治家としてもその手腕を遺憾なく発揮しています。施設の症例数は毎年増加傾向で今年は成人1200、小児200程度。US newsのBest Hospitalランキング心臓部門でも4年前の50位圏外から昨年の13位まで引き上げました。まさにこれから一流施設の仲間入りをしようと皆が躍起になっているさなかです。施設全体の特徴としては弁症例が多くOPCABも盛んです。解離、VAD、移植なども数は多くありませんが行われていますので症例に片寄りはありません。看板外科医はDr. Adams, Dr. Griepp, Dr. Stelzerでその他のAttendingは大半がまだ40歳前後と非常に若いユニットです。

そのDr. Adamsですが、もうご存知の先生も多いと思いますが今、世界でもっとも有名なMitral
Surgeonの一人と言ってよいと思います。オペ室3つを平行で使って一日4例Mitralとかをこなしています。僕が来た当初から成績はすでに安定していたようですが、その後も毎年300例程度のMitral症例をこなしているため、さらに技術が洗練されてきているように思います。他のAttendingがRepairしきれなかった症例のリカバリーなどにも手洗いしています。症例に飢えた取り巻きのJunior Attendingが4人もおり、一大Adams Familyを形成しています。彼に近づくのは僕のなかの目標の一つでもあるのですが、実際にはそれは難しく手洗いできたとしても彼の部屋でフェローに与えられるチャンスは非常に限られたものになっています。

前チーフのDr. Grieppは大動脈の大御所です。昨年にセミリタイアをしメスは置きました。彼の戦略は渡米前から非常に興味があったのですが基本はがっつり冷やしてしっかり縫う、で脳保護は低体温とエア抜きのみ、と非常にシンプルなものでした。外来で多くの患者をフォローしており彼の引退後も定期的に大動脈症例は送られてきます。

Dr. Stelzerは日本で知名度はありませんが全米屈指のRootの名手です。DavidやFreestyleでの基部手術を得意としており、またRossの通算執刀数は400例以上です。教育者としても非常に優れており、定型手術はほぼ全例フェローに執刀させ、Rossを含めた難しい基部もフェローの実力に応じて執刀機会を与えています。

フェローシップは3年のプログラムでしたが昨年から2年に短縮されました。正規フェローが各学年に1人で最終学年がチーフ。非正規フェローは時期にもよりますが2から3人。非正規フェローの研修期間は人それぞれで特に定まっていません。給与は、正規、非正規で差はなく手取りで隔週16万プラス住宅手当が毎月10万。車をもったりはできませんがマンハッタンでなんとか暮らしそれなりに楽しむ程度はもらえています。当直は祭日などに入れられやすいなどの傾向はありますが回数に関しては公平です。休暇は年間4週間与えられていますが非正規フェローですべてを消化するものはいません。

これはどの施設も一緒ですが、基本的には正規フェローのトレーニングが最優先です。彼らは5年間の一般外科研修を終えており、その見返りとして非常に密度の濃い2年間が約束されています。プログラム側も彼らを卒業までには独立した心臓外科医としてなんとか形にしなくてならず、卒業生の実力はプログラムの沽券に関わるため必死で教育します。ITA採りやカニュレーションなどは研修初日からおこないますし、チーフの年には多くの執刀機会に恵まれます。これは正規フェローの権利であり彼らもそれをよく理解しています。一方、非正規フェローのトレーニングにはなんの保証もありません。チーフの実力や人格、フェローの人数、施設の方針など多くの不確定要素にも左右されますが、基本的には自分の実力次第です。渡米時点で十分に実力があればいきなり執刀ということもありえますが、基本的には術前、術後をしっかりみて術中もroutineを理解し上手くサポートしているうちに、Attendingとの信頼関係ができ、すこしづつチャンスがまわってくる、といった感じです。

僕自身の経験としては1年目は見習いのような形でとにかくチーフやシニアフェローにはりついて手術や当直をこなしました。自分では割と英語はできるようになったつもりでいましたが、実際に働きだすと人の言っている事が全く理解できずにかなり苦しみました。特に電話でのコミュニケーションが絶望的で直接会って会話する必要があったため、最初はすべてのポケベルにたいしてピンポンダッシュ状態でした。いまでこそ英語での仕事に問題は感じなくなりましたが、1年目は心臓外科の研修どころではなく、英語とアメリカのシステムに慣れることに精一杯でした。

ICU、病棟管理にどの程度関わるかは施設によって差がありますがMount Sinaiでは、フェローは自分の手洗いする症例については術前、術後と一貫してフォローをし、休日も含め毎日回診しています。急変があれば当直でなくても連絡がきます。日本ではあったりまえ、の事ですが、Shift制が徹底しているアメリカのなかでは珍しいほうかもしれません。80時間ルールも一応ありますが、皆あまり守れていません。

患者一人一人の管理に関しては日本とアメリカの間に大きな違いは感じませんでしたが、アメリカは患者の数が多くturnoverも早いため、初めはそれに圧倒されました。またMount SinaiのICUは僕が働き始めた当初はICU専属のIntensivistがまだ導入されたばかりでまだまだ発展途上でした。その頃は当直の日はICU18床すべての患者の申し送りを受け取り、回診、治療方針を決定しチャートに記入、さらに病棟の急変やERや他科からのコンサルトも見て、ラインの交換やコンピューターでのオーダーなどもすべて一人でこなさねばなりませんでした。これは患者数の多いアメリカではかなり安全面で問題があったためしだいに改善されています。いまではIntensivistが8人に増え、またPAや麻酔科レジデントが一緒に当直をとるようになったため、フェローの負担はだいぶ軽減されました。

手術経験に関してはこれまでに心臓600例、呼吸器100例程度に手洗い。執刀は3年目の終盤にバイパス第1例。これまでで40例程度(主にCABG、AVR、CABG+AVR)です。1年目のはじめは他のシニアフェローの症例に第2助手として参加し、1年目の終わりに当直を1人でとれるようになったころから自分にも症例が割り当てられるようになりました。そこから2年目の終わりまでは『Distal吻合を絶対にやらせてくれない』ということで正規フェローに人気のなかったAttendingと主に手洗いしました。当然ですが、初めは非正規フェローの上に経験もない、ということであまりよく思われておらずなにもやらせてもらえませんでしたが、症例数も多く第1助手はやらせてもらえたので喜んで手洗いしていました。ほぼ連日一緒にいたのでこのAttendingが他施設にうつる2年目の終わりにまでにはかなり良好な信頼関係を築くことができました。結局最後まで冠動脈吻合や心臓内操作は一切やらせてもらえませんでしたが、開胸、カニュレーション、ITA採取、デカニュレーション、閉胸までは自分一人で任せてもらえるようにまでなりました。彼が去った3年目からは他のAttendingとの信頼関係をまた一から築かねばなりませんでしたが、ある程度基礎ができていたので冠動脈の吻合なども少しずつやらせてもらえるようになり、3年目の終わりあたりに初めてバイパスを執刀させてもらいました。ここで執刀といっても、術者側から吻合の大部分をおこなった、というだけのことで、人工心肺の管理や術野の展開などの重要な部分はしっかりとAttendingに掌握されています。4年目になり相対的にフェローのなかでの順位もあがり、これまでたったの一度もまわってこなかったStelzerの症例も時々手洗いできるようになりました。バイパス以外の執刀症例はほぼ全例、彼からのものです。これまでまったく執刀させてくれなかったAttendingもまれに執刀させてくれるようになりましたが、数は限られており平均して週に1回程度です。

自分のこれまでの3年半の研修を振り返ってみてみると、正直渡米前に思い描いていた通りとまでは言えませんが、日本での経験が一般外科1年、心臓外科1年半のみでの渡米だったことを考えると、フェローとして採用してもらいここまで育ててもらったことだけで十分にありがたいことです。技術面では開胸が怪しいレベルからのスタートでグラフト採取、症例のsetupとclosingは他の経験のあるフェローと比べても遜色なくできるようになりましたし、その後に一応執刀までこぎつけました。ICU当直も一人でも問題なくこなせるようになりました。研修当初は特にいなくても困らない存在でしたが、今はフェローのなかでは主力の一人と言ってよいと思います。

僕が留学したころと同じような年代の先生方から時々留学について相談を受けることがあります。当然、異なる文化、言語での診療ですから慣れたつもりでもいてもどこか緊張している感じは常にあります。意地悪な人もいます。空き巣にも入られました。大切なものもたくさん失いましたし、泣きたくなるような屈辱もいっぱい受けましたし、髪まで薄くなってきましたが、それでも心臓外科に対する情熱がさめたことはありませんし、やはりアメリカにきてよかったと思っています。Slow
but Steadyで日を追って成長を実感できているので、日々の研修に飽きやマンネリを感じた事はありません。心臓外科は仕事に対するcommitmentが非常に高い科ですしAttendingや部長職までの道のりも長いですからこの、研修の過程を楽しむ、というのはとても大切なような気がしています。これがアメリカだからできたのか、と言われればそれはわかりません。僕は日本での心臓外科の経験は1年半のみですから日本とアメリカの研修の優劣についてとやかく言える筋合いはないですし、実際に日本で受けた研修も素晴らしいもので一緒に働いた先生方も皆とても優秀で尊敬できる人たちでした。

社会にはルールがありますし軽卒なことはいえませんが、結局のところ、立派な心臓外科医になる、という気持ちは環境に関わらず自分の心がけ次第であり、それさえあればどこにいようと最後に行き着くところは同じだと信じています。ですから留学に興味をもったのならば、心臓外科に留学が必要か、や、いつ留学するのが適切か、などを考える前に、思い切ってどんな形でも飛び込んでみてしまえばよいと思います。キャリア初期でのアメリカへの留学は苦労もデメリットもありますが、情熱さえあればそれに応えてくれるだけの度量はあると思います。日本の心臓外科のレベルは高いし留学なんてしなくてもいいよ、という意見も聞きます。そうかもしれません。ただ一人前の心臓外科になるということ以外に、多国籍都市NYで日本人である事を意識しそのことに誇りをもちつつ頑張る、というのもそれ自体なかなか悪くない経験です。

僕自身の今後の進路についてはまったくの未定ですが、日本の掟をやぶってアメリカに出てきたので中途半端で帰る事はできません。縁があって日本に帰れることがあればそれは素晴らしいことですが、今はアメリカで行けるところまで行ってみるつもりです。志半ばで尽き果てることがあっても前を向いて倒れようと思っています。

少しあつくるしくなりましたが僕で相談にのれることがあったらいつでもメールしてください。それでは皆さん、お互い一流の心臓外科医をめざしてがんばりましょう。ごきげんよう。