平田康隆先生

留学施設: Children’s Hospital of New York/Columbia University Medical Center
         New York, NY, USA

留学期間:2005年9月~2009年1月

留学に必要だった資格: ECFMG certificate, USMLE step 3

留学中の立場:Instructor in Clinical Surgery (Junior Attending)

施設の特徴:
手術室2室、PICU15床、NICU 50床(うちCardiac 約15床)
心臓手術年間約600例(うち人工心肺例 約500例)

留学中の経験心臓症例数:
術者:約200例
第一助手:約700例

体験談:

2002年10月頃、病院でネットサーフィンをしていたところ、「USMLEと海外臨床留学の掲示板(現在はありません)」というサイトに、コロンビア大学で成人心臓外科のClinical Fellowをやっておられた坂口太一先生の「自分の施設ではフェローもかなり手術をやらせてもらっている」という書込が目に留まりました。

当時は、臨床留学といっても、なかなか手術はやらせてもらえない、という認識だったので、早速連絡をとってお話を伺うことにしました。その後、同施設で心臓外科のスタッフ、心移植・VADの責任者として活躍しておられる中好文先生と連絡をとる機会をえて、「小児の方でフェローを探している」というお話を伺いました。

その時は、まだ小児をするか、成人をするかも決めていなかったのですが、なかなかこういうチャンスはないだろうと考え、とりあえず渡米して、小児のProgram directorであるDr. Mosca と面接。2005年の7月からコロンビア大学の小児心臓外科でClinical Fellowをして採用されることとなりました。
NYの医師免許の書類などにややてこずり、結局、開始が2ヶ月遅れ、2005年の9月から仕事を開始しました。

最初の一ヶ月はやはり、言葉やシステムの問題があって、ストレスがたまりましたが、徐々に仕事で使う英語はなんとか慣れ、また、周りのスタッフ、ナース(ICU,オペ室)たちにも支えられて、仕事をこなせるようになりました。

NYはまさに人種のるつぼ、といった感じで、白人だけではなく、ヒスパニック系の人たちも多く、ナースもフィリピン人、インド人が多くおり、比較的僕の変な英語にも寛容でした。患者さんたちも、非アメリカ人の英語になれているようで、少しくらい発音や文法がおかしくても、それで信頼を失う、ということはほとんどなかったように思います。

オペ室はあまり英語をしゃべらなくてすむので、特に最初のころはオペ室だけが心のオアシスでした。手術はすべて術者と第一助手だけで行い、第二助手はいません。そのため、stay stitchなどをいろいろとおいたりして場の展開をうまくしないと手術ができないので、勉強になりました。

コロンビアの小児心臓外科には、3人のStaff Surgeonがいます。Dr.Quaegebeur、Dr.Mosca、そして一番若いDr. Chenです。

Dr. Quaegebeurは、Dr.Qと略して呼ばれています。もともとはオランダで働いていましたが、Arterial switchの手術で素晴らしい成績を残したことなどで有名となり、1990年にコロンビアに招かれました。気難しく、術中は助手が少しでも気に入らない動きをすると、どなったりします。看護婦、人工心肺技師、麻酔科も例外ではなく、オペ室はいつも緊張に満ちています。ただ、いくら怒鳴っても、それがあとをひくことはなく、また、操作や判断は常に冷静でした。しかし、Dr.Qは開閉胸以外は全部自分でやってしまうので、彼と手術にはいると執刀の機会はありませんでした。途中から、まあ、そういう方針なんだから、とあきらめましたが、助手しているだけでも、スムーズな手術の流れ、視野の展開などをみるのはとても勉強になりました。

また、彼の運針は、どちらかといえばゆっくりなのですが、一針一針が非常に丁寧で、手術を終えた後、ほとんど出血しません。そのため、結果的に手術が早く終わります。これは、僕も見習い、常にこういう運針をしようと心がけています。

Dr.Moscaはコロンビアで胸部外科の研修を終えたあと、MichiganのDr.Boveのもとで小児心臓外科のフェローとなり、そのままMichiganでスタッフとなりました。2000年からコロンビアで働き始め、現在はProgram directorとなっています。
彼が一番手術をおろしてくれて、大変お世話になりました。特に最後の1年は、TOF、AVSD、Fontan、TAPVCなど多くの症例を執刀させてもらうことができました。

話は少しそれますが、、日本では、小児科(あるいは循環器科)が患者を紹介するとき、多くの場合、心臓外科のトップ(部長、教授など)に紹介をします。そして、そのトップがその症例を自分でやったり、あるいは、他の外科医にわりふる、という形になります。

ところが、アメリカでは多くの場合、小児科医「個人」から、心臓外科医「個人」へ紹介されます。つまり、同じ病院内でも、外科医個人の手術成績によって、ある外科医にはたくさん紹介があり、違う外科医には紹介があまりない、ということがありえます。

つまり、自分の手術成績が直接自分への患者への紹介数にかかわってくることになります。
故に、施設のトップの外科医(Q)がフェローに手術をやらせない、というコロンビアのような状況の場合、Dr.Moscaがもし自分の手術成績だけを考えるのであれば、自分もフェローに手術をおろさない、という選択は十分あったと思います。彼はある意味、自分の「身を削って」手術をおろしてくれた、という風に僕は考えています。

ですから、もちろん、「もっと執刀させてもらいたい」と思ったことは何度もありましたが、そこは結局、自分自身で乗り越えていかなければならない、と考えられるようになりました。

これは、日本にいたとしても同じことで、「手術をやらせてもらう」ということは、指導医が「身を削っている」のだということを忘れてはいけないと思います。

Dr.Chenは、コロンビアで一般外科、胸部外科の研修をしたあと、コロンビアで小児心臓外科のフェローをやり、そのままスタッフになりました。現在は、同じマンハッタン内にある、コーネル大学の小児心臓外科のチーフを兼任しています。そのため、コロンビアではそれほど手術はないのですが、心移植のオンコールをとっているので、彼と一緒に心移植やVADなどを多く執刀することができました。コロンビアでは小児(adult congenitalを含む)の心移植を年間20例以上行っていて、Dr.Qがオンコールの時以外は、再手術症例を含め、ほぼすべての症例を術者として執刀する機会にめぐまれました。

彼は僕の2代前の小児心臓外科のフェローで、僕がこちらにきたときは、まだスタッフになって間もないころでした。彼は僕にこういったことがあります。
「僕といっしょに手術をすると勉強になるはずだ。なぜなら、QやMoscaはもうすでに、熟練しているから、Pitfallにおちたりせず、スムーズに手術をするけど、僕はまだ、Pitfallに落ちることがある。そういうのを見るのも勉強になるんだ。」と。

一緒に手術をやりながら、「ここはこうすべきじゃないか」といいながら、手術をやるのは、他のスタッフと手術するのとは違った面白みがあり、また、僕がフェローをやっていた3年間の間にも、彼がどんどん経験をつみ成長していくのがわかりました。

同僚にも恵まれました。

小児専門のフェローは僕一人ですが、もう一人、3ヶ月おきに、胸部外科のレジデントが回ってきます。彼らは胸部外科の二年間のプログラムのうち、3ヶ月を二回、計6ヶ月間、小児を回ります。

手術室が二つあってどの手術に入るかは僕に選択権があったのですが、なるべく、公平になるように、また、レジデントも執刀できる手術(PDA、ASDなど)は、できる限り彼らにやってもらうようにして、比較的良い関係が築けたと思います。

渡米当初、書類手続きの不備で2週間の間、病院のPCにアクセスできず、患者の情報が全く見れずにほとほと困っていました。そんな僕をみかねて、「これがばれると解雇されるかもしれないから、おぼえたら、すぐ捨てて」とそっと紙に自分のIDとパスワードを書いて渡してくれたMauricio Garrido。渡米して働きはじめ、右も左もわからない状態で、彼にはずいぶん助けられました。

他にも、何人ものレジデントと一緒に働きましたが、彼らの働きぶりに不満を持ったことは一度もありませんでした。

なにより、同級生の高山と一緒に働けたことは幸運でした。彼と働いていたときは、毎日かかさず昼食にインドカレーを食べることを義務づけ、そして実践しました。そして、どうすれば手術がうまくなるか、などをいろいろと考え、そして議論しました。また、彼の前立ちになって心移植を執刀してもらう機会が二回ほどありましたが、これも良い思い出です。

そして、欠かせないのが、RozelleというNurse Practionerの存在です。
彼女は、小児心臓外科の中核となって働く存在で、術前のコンサルトをはじめ、術後管理、胸腔ドレーン挿入などにも習熟しており、困るといつも相談していました。また、病棟だけではなく、場合によっては、手術の第一助手をつとめ、手術を執刀しない以外は、なんでもできる人でした。こういう人が日本でも育っていけば、心臓外科ももっと若い人が手術に集中できるのではないかと思います。

オペ室のナースはフィリピン人が大半をしめていましたが、みな陽気で、非常に協力的でした。Annaというフィリピン人のナースが心臓外科のチーフナースだったのですが、彼女は非常に気がきき、オペ室のセッティング、ドレーピングなどについていろいろ教えてくれたり、いろいろと身の回りのことを気遣ってくれました。症例数が多いこともあって、多くのナースが介助に慣れている印象をうけました。

ICUのナースは、日本のICUのナースと比べて、かなり権限を与えられています。ある程度、方針がきまると、薬を減らしたり、呼吸条件を変えて、抜管へもっていったりするのはナースが自分の判断で行っていました。これも、一施設の症例数が多く、各ナースの経験する数が多いからできることなのだと思います


約3年半の留学でしたが、周りの人々に支えられ、充実した生活を送ることができました。

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