教授就任の挨拶:第三世代へ入った米国留学 (長崎大学同窓会誌ポンペからの引用)

トーマスジェファーソン病院外科心臓外科部門教授


廣瀬 仁 先生

留学施設:トーマスジェファーソン病院

留学期間:2008

留学に必要だった資格 :NA

留学中の立場:Professor

留学施設の特徴:NA

留学中の経験症例数:NA


人間五十年 下天の内を較ぶれば、夢幻の如く也 一度生を稟け、
滅せぬ物の有る可き乎


 上記は、織田信長の言である。長崎大学医学部を四半世紀前に卒業後、米国にある心臓外科を数施設で研修を積んだ後、約10年前に現在のトーマスジェファーソン大学病院外科心臓外科部門アテンディングとなり、年齢50歳にして、トーマスジェファーソン病院大学外科心臓外科部門の教授に就任した。米国のシステム上、教授といえども、日本の国立大学教授のように、あるいは信長のように一国一城の城主とはいかないが、教授就任は自分の今までの医師としての半生においての一区切りであることには違いがなかった。

 信長の言の意味合いは、他書に書かれるように、人生に適切は道を見つけたならば、その道を死ぬ気でやればどうにかなるということである。大学卒業後、すぐに私は心臓外科をめざした。米国留学からアテンディングになるまでの道程については米国留学のウェブサイト(http://jaycs.jp/clinical/hirose_jin)に譲るが、米国で立場を得るまで、また得てからも、私は人の三倍努力をすることに努めてきた。我々日本人は、米国においては、マイノリティーである。しかも、医師に最も必要とされるコミュニケーションスキルは英語ができなければ、全く相手にされないのである。アメリカ人と同程度にしか働かなければ、その評価は必ずアメリカ人より下であろうし、二倍程度働いてアメリカ人同等くらいだろう。そこで、アメリカ人のスタッフに認められてほしければ、人の三倍働く必要があるのである。私の下手な英語でも、米国では人と話をしようと「努力」をすれば、人は話を聞いてくれるのである。その努力とは、例えば、患者と話しをするならば、患者の病歴、現状の把握であり、何か発表するに当たっては十分な下調べと論文による裏付けであろう。私は、フェローの時代はもとより、今でも他のスタッフの誰よりも毎日早朝出勤し、誰よりも患者を把握し、誰よりも論文を書いている。これは私の恩師の現順天堂大学心臓血管外科の天野篤教授の言だが、「実績は形で残せ」である。心臓外科であれば、手術件数、周術期成績が大事だろうし、教育に関してはレジデントや医学部生にきちんと発表をさせることであり、研究に関しては論文として残すことが必要である。

 実はここ数年、私は論文の筆頭著者とはなっていない。それは、学生、レジデント、フェローに論文を書かせるのである。彼らにはテーマを与えたうえで、一定期間以内にテーマを完遂させ、抄録を挙げる。抄録はテーマを完遂した者が筆頭となり、米国の主要な学会で発表させる。発表させた後は、必ず発表内容を論文にする。筆頭者と私との間でドッジボールのように添削をくり返し(中では40回近いやり取りがあった例もある)論文を完成させる。私自身、300編以上の論文があり、自分の実力を高めるよりも、他の学生あるいは先生の力になればと思って始めたシステムである。私の元には毎年数人の医学部新入学生が臨床研究を希望してやってくる。医学部一年生に臨床研究のイロハから指導するのは結構大変なことだが、その教えた学生が毎年のようにベストプレゼンテーションやら、学会のアワードやらを取ってくると、こちらの教え甲斐があるいうものだ。ちなみに、今までに手がけたテーマで論文として英文発表していないものは皆無で、日本語の論文は当稿のような依頼ものだけである。

 私のいるトーマスジェファーソン大学心臓外科は、常に日本人のフェローを採用してきた。日本の大学や、一般外科のように多数のレジデント/フェローが入ってくるわけではなく、一人あるいは二人のフェローを採用するのである。私も、以前はフェローを3度(クリーブランドクリニック、フィラデルフィア市内のハネマン病院、そしてトーマスジェファーソン病院)フェローの立場であった経験がある。フェローはレジデントの後、アテンディングの手前である。うまくいけば、フェローはアテンディングへなることができるのだが、それは運と努力が同時になければ、そううまくはいかない。ここ数年、心臓外科の米国留学は第三世代へ移行してきていると考える。

 第一世代は、1953年に当トーマスジェファーソン病院にて世界初の人工心肺を用いた開心術が始まってから、初期の心臓手術を学ぶため1970年代後半から1980年代に米国留学を果たした先生方である。その多くの先生方は、米国でのスタッフサージャンの道は選ばず、日本へ帰国され、米国での心臓手術を持ち帰り、米国生まれの手術を日本風へ手作りで造り替え、その後に日本の心臓外科の礎となったのである。それらの先生方の多くは現在退官の時期を迎えている。次の第二世代は、私を含め2000年前後の留学組。米国では心臓外科は成熟し単純な心臓手術は早期退院することが普通となってきた頃である。同時期に日本では日本人の体に合った心臓手術が模索され、その典型的なものが心拍動下手術であり、その成績は米国と劣らないものとなった。心臓手術の体系化が進む中、日本へ戻らずに米国でアテンディングスタッフの立場を得る者も出てきた。第二世代留学の医師は積極的に米国の医療に参画し、日本人のフェローを招聘してきた。現在米国で活躍する日本人心臓外科医は結構な数になるが、その第二世代の心臓外科医に教えられた医師たちが、フェローからアテンディングへなるケースが最近見られ始めた。私も、今年自分の教えたフェローが、 クリーブランドクリニックのスタッフとなった。

 自分の手塩にかけてトレーニングをした者が独り立ちするに当たり、人間五十年の生き甲斐があった、自分のDNAを少しでも次世代へ残せたと思うこの頃である。現在、米国の日本人心臓外科医は珍しいケースではなくなりつつあり、留学はやり易くなり、米国での心臓外科研修は日本の心臓外科トレーニングの延長とでもいえ、今や心臓外科米国留学第三世代といえる。ちなみに私の所では、学生、看護師、医師、見学に来たいという人は全く拒まない。見学にあたり、英語の試験は無い。書類を提出するだけだ。やる気だけあれば良いと思っている。英語ができなければ、コミュニケーションに苦労するだろうが、どのくらい大変なのかということだけでもわかって帰ってくれればと良いと思ってのことだ。ちなみ、必要書類の提出もできないようならば、留学はやめたほうが良いだろう。書類処理能力がなければ、日常診療での書類がたまり、外科手術トレーニングに割く時間が減り、外科医としては成功しないであろうから、早期に他科への転向を勧めたい。現在の日本の心臓外科を考えると、日本人に特化した心臓手術が必ずしも米国でスタンダードで施行されているとは限らず、また日本の心臓外科手術の技術面においては米国を凌ぐ面もあり、必ずしも海外での研修は必要ではなくってきていると思う。

 世代交代が起こる傍ら、心臓外科の専門化も進んだ。私は、ここ数年、体外式膜型人工肺(ECMO、エクモ)を専門とした。ECMOは簡単に言えばベッドサイドで行う人工心肺治療である。対象となる患者は、ECMOを施さなければ死亡する可能性がほぼ100パーセントの重症心肺不全である。心臓手術が4-6時間で終わるのに比べ、ECMO施行後、1-2週間かけて治療するのである。また、患者が移動することもできないくらい重症な場合、他院へ出かけて行って、ECMOを施行し、患者をヘリコプターなり、救急車なりで私のいる集中治療室へ連れてくることもある。多くの心臓外科は手術に専念したいので、やりたくない仕事である。しかし、誰とも同じことをやっていては競争には負けてしまうのである。この仕事が順調になると、手術よりも集中治療へ業務がシフトした。興味深いことに、心臓外科にとって集中治療は不可欠で、手術症例の100パーセントが集中治療室へ入室してくる外科は心臓外科において他にない。心臓外科医では集中治療を専門にやりたい人が少ない。心臓外科の特異性に通じ集中治療での実績を重ねた私は、短期間で米国心臓外科集中治療をリードする立場になり、集中治療学会フェロー及び米国胸部外科学会集中治療部門 (critical care task force)の委員となった。米国で胸部外科専門医を持たない私でも、人の三倍仕事をすれば、米国で人並み以上に認められるのである。三倍働くと何回ともなく書いたが、それは決して仕事の奴隷となっているわけではない。私は毎日が楽しみなのである。出勤前、 今日はどこをどうして、患者の状態を良くしようかと考える。患者の状態の何処を回診の時にクローズアップして話しをするか。外科医が手術前に手術の手順を考えるのと同じである。毎日勤務するのが楽しくてたまらない。たぶん趣味を通り越しているのであろう。

 米国で臨床をしていると、訴訟に関わることも多々ある。今までに、実際に裁判となった経験は無いが、裁判の手前の宣誓供述は複数以上経験がある。特に、自分が名指しされた医療訴訟も数回経験した。米国の訴訟のシステムは日本と違い、多くは病院附きの弁護士が訴訟代行をし、患者やその家族と実際に話をすることはないし、病院が記者会見することもない。勿論、実際に裁判が始まれば会見もあるだろうが、裁判前には、原告被告ともに守秘義務がしかれ、和解した場合も同様である。私のような大学病院の医師は、大学の全ての医師が同じ医療賠償保険に入っているが、個人病院では個人で賠償保険に入ることが望まれ、その掛け金はレジデント一人の給料よりも高額になることがほとんどである。和解金額については推して知るべしである。私が訴訟の当事者となった際、アメリカ人曰く”Welcome to USA. You became real physician (surgeon)!” 他の多くの事例に示されるように、カルテの記載が問題となることがほとんどで、きちんと記載することは言うまでも無い。米国での臨床期間が20年ともなると、いろいろなことが起こるものである。

 信長は人生50年と言った。しかし医療の進歩に伴い、日本人の平均寿命は男性でも80歳を越える。それまで、常に人の三倍働けたらと思う。最後に、今までの医師としての人生を支えてくれた家族に感謝して、教授就任の挨拶としたい。