安達偉器先生

留学施設:
Cardiac Morphology Unit, National Heart & Lung Institute, Imperial College London and Royal Brompton Hospital , Sydney Street, London SW3 6NP, United Kingdom
留学期間(年月日から年月日):2006年10月から2008年12月
留学に必要だった資格:特になし
留学中の立場:Research fellow and Clinical Observer
留学中の収入:
一年目は奨学金(上原財団、Fontan prize、大阪大学銀杏財団など)。二年目以降は月額30万円程度。

はじめに
大阪大学H12卒の安達偉器と申します。 2006年10月より英国ロンドンにて,先天性心奇形の形態学(Cardiac Morphology)を勉強しています。海外留学を考えておられる先生方の参考となるよう,私が研究留学を行うに至った過程,留学中の様子を出来るだけ具体的に報告します。

Cardiac Morphologyを選んだ理由
ロンドンにCardiac Morphologyを勉強しに行くと決めた時,周りの先生方の反応は必ずしも芳しいものではありませんでした。「何で今さらMorphologyを。。」とか,「病理なんて勉強しても,偉くなれへんで。。」という反応が主でした。当時の主任教授には反対こそされませんでしたが,「君は勇気があるな。」と言われました。確かに研究留学の多くは,よりベーシックなリサーチを目的とする場合が多いと思います。論文のインパクトファクターを考えれば,ベーシックリサーチの方が有利なことは明らかです。しかし私は,臨床から離れて研究者としての時間が避けられないならば,より臨床・手術に直結した学問を学びたい,と考えていました。ただし,Morphologyには以前から興味を持っていたものの,具体的にMorphologyで研究留学をしようと決めていたわけではありませんでした。 むしろ,偶然の巡り合わせでMorphologyを学ぶことになったと言った方が,適切かもしれません。一つの契機は,2005年にタイで開催されたアジア心臓血管外科学会でした。 Yen Ho先生(Royal Brompton, Cardiac Morphology部長)に,講演後にいくつか質問をしたのですが,その時の印象が残っていたようでした。次いで,国立循環器病センターでお世話になった上村秀樹先生がコンサルタントとしてBromptonで働くことになり,かねてから仲の良い二人が誰か日本人の若い外科医を呼びたいという話になり,私のもとに話が舞い込んできました。教科書中心のMorphology学習に限界を感じていたので,願ってもない話だと思い,ロンドンへ向けての準備を始めました。

そもそも先天性心疾患を専門としない方は,Morphologyと言われてもピンとこないかもしれません。心臓の先天奇形はバリエーションが多いうえに,例え同じ疾患名であっても,その変異の程度は様々です。従って,心形態の異常に伴う血行動態の変化は多様であり,個々の状態に応じた治療方針や手術内容が要求されます。そのテーラーメイド性の高さが,先天性心疾患診療の難しさであり,面白みであると言えます。Morphologyという学問の目的は,心構造異常の本質を知る事により,病態の理解を深める事にあります。外科医にとっては,さらに直接的なメリットがあります。手術操作を加える対象物を知る事により,手技の効率化と合併症の防止を両立し得るためです。後天性心疾患を専門とされる先生方は,「先天性の心臓外科医なら,奇型心の解剖はよく知っている筈だろう」と思われるかもしれません。勿論,手術経験の豊かなベテランの先生方は,豊富な解剖知識を持っておられます。しかし外科医の卵にとっては,心臓の中はある意味でブラックボックスです。特に近年,手術の切開創は小さくなり,ますます助手の位置から“中”を覗く事は難しくなりました。これは小さな子供の手術では尚更です。更には手術死亡率と病理解剖率の減少により,臨床的な想像・感覚を実際の剖検心標本で確かめる機会が減少しました。これらは勿論,患者さんとっては喜ばしい事ですが,トレーニングの過程にある者にとっては,心内構造の理解という基本的な学習が難しくなっている事を意味します。実際に自分が執刀する立場になる前に,そのブラックボックスを解消したいと考えていました。幸いヨーロッパ胸部外科学会のFontan prizeから奨学助成を受ける事になり(写真1),ロンドンへの留学が現実のものとなりました。

Royal Bromptonでの活動
「さあ,やるぞー」と意気込んで来たものの,最初から挫折しました。まず予想通り,英語の問題でした。日常会話は何とかなっても,Morphologyの会話は次元が異なるものでした。そもそも日本語でも解剖の議論などほとんど経験は無く,英語で話せる筈もありませんでした。そのため最初の半年は教科書や論文を読みながら,標本を眺めていました。また当初は実際に心臓の中を覗いても,ただの平面的な肉の塊にしか見えませんでした。しかし,その感覚は徐々に変わっていきました。心構造の理解が進むにつれ,ランドマーク的構造物(何らかの肉柱など)がカラフルな三次元的物体として見えてくるようになりました。例えるなら,肉の塊が手術教科書のシェーマの様に見えてくる感覚,というのが芽生えてきました。以降,難解に思えた教科書や論文の記述が自然に頭に入るようになりました。それと同時に意外な副産物もありました。毎朝臨床カンファレンスでエコー,心臓血管造影,MRI所見などを眺めているのですが,以前は自分の頭の中でバラバラに存在していたそれらの映像が,心標本のイメージを通じて一つに繋がるようになりました。これは,Morphologyを勉強して良かった,と思う大きな理由の一つになりました。
しかし,次の挫折がすぐに待っていました。幾つかMorphology論文を執筆できればと考えていましたが,現実的にはこれがとても難しいことだと気づきました。Morphologyという学問は,Prof. Van PraaghやProf. Andersonといった著名なmorphologist達により,1990年代までに既に体系化されていました。ほぼ全ての疾患は既に充分調べられており,新たな心疾患が出現するわけでも無いので,追加研究の余地は皆無と思われました。事実,純粋なMorphology論文を近年見掛ける事はほとんどありません。しかも英国ではHuman tissue actという法律の施行により,近年は新たな心標本はほとんど加えられておらず,昔の研究を対象数のみ増やして焼き直す,ということも不可能でした。「今さら,Morphology論文など相手にされないのでは」という懸念が付き纏い,想像以上にストレスの多い時間を過ごしました。ですから,一つ目の論文がアクセプトされて,「Morphologyは過去の遺物ではない」と分かってからは,随分と気が楽になりました。逆に現在では,他人と競合する事も無く,自分の興味のままに研究できる長所もある,と思うに至りました。
他のアクティビティーとしては,教室が主催する様々なレクチャーコース(http://www.rbht.nhs.uk/healthprofessionals/clinical-depts/paediatrics/morphology)の手伝いがあります。中でもHands-on Cardiac Morphology Courseは人気が高く,ヨーロッパ,アフリカ,中近東は勿論のこと,北米,オーストラリア・ニュージーランドや中国・インド・シンガポールなど世界中からの参加があります。最大の特徴は,講義後に参加者自身が,講師と議論しながら,実際にたくさんの標本を手にとって調べられる,という点です(写真2,3)。これは3日間のコースで,年に2回開催されています。先天性心疾患に興味のある方には是非お勧めです。

研究留学の特徴とその先にあるもの
若手心臓外科の先生が「留学」を考える時,最初に望むのは研究ではなく臨床留学だと思います。以前は私も,臨床留学の道ばかりを模索していました。しかし,研究留学を実際に体験して,臨床留学とは異なる魅力に気づきました。研究留学の何よりの特徴は,自由な時間を持てることだと思います。家族が病気や出産の時は,1週間でも2週間でも,自分の気の済むまで仕事を休んで,付き添う事ができました。職場に行ったけど,なんだか気分が乗らない日は,テムズ川のほとりを一日中散歩したりベンチに座りながら,研究の考想を練ったり,将来について物思いに耽ったりしました。ちょっとランチに行く?とか言いながら,結局そのまま飲み会に突入して,夜までパブで過ごしたことも多々ありました(イギリスのパブは昼間から営業しています!)。医者になって脇目も振らずひたすらに働いてきた身にとって,まさに人生の充電期間でした。そんな研究留学ゆえの贅沢な時間を,日本ともアメリカとも異なる価値観を有するヨーロッパで過ごせたのは,本当に幸せなことでした。
そんな有意義な時間を過ごしつつも,常に頭を離れなかったのは,如何に研究留学で得た知識を臨床能力に繋げるか,という点でした。手術とは,知識と技術の両輪に依存するもので,Morphologyという知識の習得だけでは,充分ではありません。残念ながら,日本の現状では,技術の部分を集中的に鍛える経験を積むことは難しく,臨床留学を避けて通れない事は明白でした。 私はかねてより,臨床留学はアメリカでと考えていたので,渡英中にECFMGを取得しておきました。悩んだのは,イギリスから直接渡米するか,それとも一旦日本に帰国するか,という事でした。結局私は,いったん日本に帰国し,ある程度の期間を,日本で過ごすことに決めました。プライベートな事情や,医局の意向,ロンドンでの残り仕事を完遂させるために必要な時間などを総合的に判断しました。友人の幾人かは,「免許があるなら,何でわざわざ日本に戻るの?」と不思議そうに言いました。自分の判断が正しいか否かは,しばらく時間が経たないと分からないと思います。しかし,海外の施設を渡り歩いていくのが良い,という価値観とはまた別に,日本をベースに適切なタイミングで適切な施設を選んで,留学をアレンジする,という考え方もありうると思います。価値観や周囲の状況は各人異なるため,世間の風潮に流されず,自分に最適化した判断を行う必要があると考えます。私の,一風変わった流れの留学経験が,将来海外に出られる先生方のお役に立つことを祈りつつ,本文を締めたいと思います。

10th December 2008
Cardiac Morphology Unit
Royal Brompton Hospital, London, UK

 

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写真1
Fontan prize授賞式(2006年9月ストックホルムにて)。左から, Professor Francis M Fontan,筆者,Professor Siew Yen Ho

 


写真2
Hands-on Cardiac Morphology Courseのレクチャー風景

 


写真3
Hands-onセッションの風景。先立って行われたレクチャーで扱われた心疾患の解剖を,説明を受けながら,実際の心標本で確かめる事が出来る。