宮城直人先生

留学施設:Mayo Clinic, Surgical Research(Cardio-Thoracic Transplantation Research)
留学期間:2005年5月~2007年8月
留学中の立場:Research Fellow

研究留学の意義‐それは臨床医にとっての学位取得と等しく永遠の難題・・

私がMayo Clinicに研究留学したのは2005年5月、卒業後7年目のことでした。1999年に東京医科歯科大学を卒業した私は、はじめの一年半を胸部外科・外科・麻酔科研修医として大学病院で過ごし、その後一般外科研修を関連病院で一年半、大学病院の心臓外科を経由して関連病院で心臓外科研修を行っていました。関連病院での約3年は指導医の先生にも恵まれ、SVG採取にはじまり、RA・LITA採取、カニュレーション、弁置換やCABGを少しずつ行うようになり(言われたとおりにやっていただけでしたが)、比較的恵まれた研修環境にいたと思います。しかし、その頃から「将来一人立ちするには」と考え始め、また術後管理などにも慣れがでてきたことを自覚したため、徐々にこのままではいけないという焦りを感じるようになっていました。そんな折、当時の教授から医局内での公募という形でMayo Clinicへの研究留学の話がありました。大学院進学等を考える際誰しも考えると思いますが、研究のみで数年という長期間を過ごすという不安を感じつつも、アメリカへの留学とそこで臨床を垣間見ながら研究をするという生活(私の場合は前任者がいたため、ある程度の情報は得ることができた)に対する憧れが勝り、留学を決めました。

私が留学したLabは、主に異種移植と移植心に対する遺伝子治療をメインの研究テーマとしていました。PIはMayoのコンサルタントであった(現University College London and The Heart Hospitalセンター長)Dr. Christopher GA McGregorで、あのDr. Norman E. Shumwayの弟子であり、イギリスで初めて心肺同時移植を成功させた人です。LabにはPhD3人(一人はCo-PIとして実験を仕切っている)、テクニシャン6-8人がおり、私のような海外からのResearch Fellowを常時2-3人受け入れていました。Labとして全体で実験をしているのは異種移植で、究極の目標は、ドナー不足を解消するためにブタの心臓をドナー心として使用しようというものでした。人と免疫機構の似ているヒヒをレシピエントとして使用し、ブタ-ヒヒの心移植を行っていました。この実験がメインでしたが、それ以外のいわゆる個人の実験は、個人の立案・計画・実行に委ねられていました。メインの異種移植実験はボスがpublishするため、自分の論文が欲しければ自分で実験計画作成からIRBを通す手続き、実験用具・試薬の購入、もちろん実行と全ての過程を自分で行うという環境でした(今考えると、全ての過程を自分で行ったことで鍛えられたと思います)。異種移植実験は、術後管理もまさに人の移植後重症心不全患者管理といった感じで(LOSが非常に多い)、24時間の管理を2-3人のフェローが交代で行っていたため、自分の実験はその合間に行い、さながら臨床をしながら実験をする、という生活でした。おかげでヒヒの扱いは動物園で雇って貰えるくらいになったと思います。
自分で行う実験は、ラット心移植モデルを用いて、ウイルスを使った移植心への遺伝子導入実験と、ブタ冠動脈をマウスの腹部大動脈へ移植し、そこにヒヒ抗体を投与するという、小動物を用いた異種移植の2本立てでした(その他5種程度の実験を同時に行っていたましたが、途中で頓挫するものも多数ありました)。留学前に予備知識がほとんどなかった私は、到着後1~2週間でこれら実験に関わる論文を多数読み、プレゼンテーションを作成、ボスに見てもらって実験開始の許可が下りました。幸いなことにボスは多額のgrantを獲得していたため、実験に必要な物の購入に支障はありませんでした。
ヒヒへの免疫抑制剤や抗生剤投与、心エコー検査など6時30分からスタートし、ヒヒ管理と実験を行うと夜中になることもしばしばで、移植後は「当直」もありました。論文を何とか出さなければいけないと、毎日必死だったように思います。しかし、基礎実験をされた方はご存知だと思いますが、実験が失敗することもよくあり、一週間へたすると一ヶ月無駄にした、という絶望も何回も経験しました。
実験の傍ら、Mayoの心臓外科のmeetingには可能な限り参加し、臨床にできるだけ触れるようにしました。手術の見学はボスの許しが必要なのと(移植後のヒヒがいるとなかなか難しい)、医師免許がない者へのOPE室への入室許可が必要でしたが、なるべく時間を見つけて見に行きました。
アメリカでの生活は、忙しいとはいえ日本での生活に比べれば余裕があり、家族と過ごす時間も作ることができました。Labの人たちも皆親切で、初めは英語が聞き取れず苦労しましたが、根気よく付き合ってくれて、さほどストレスを感じなくなっていきました(とはいっても街中のおばさんにまくし立てられるとお手上げでしたが)。子供は日本人学校には入れずに、現地校に直ぐに入れたため初めの一週間は登校拒否でしたが、その後は順応したようで楽しそうにやっていました。滞在中、次男も誕生しました。妻も現地の友人も多くでき、帰国したくないようでした。
結局、論文もpublishされ(labに残っているものもありますが)、数回の学会発表も経験し、何とか形にはなったと思います。Rochesterを去るときは非常に名残惜しかったのですが、これ以上臨床のブランクを作るわけにはいかず、2007年7月に帰国し母校での勤務を開始しました。

臨床医にとっての研究留学もしくは大学院進学の意義、もし行うのであればその時期というのは非常に迷うところだと思います。私の場合、帰国後むこうでの仕事により学位を取得することができました。大学によって異なると思いますが、今後は留学中の仕事での学位取得は難しくなること、また、そもそも学位取得は必要なのかなど今後研究留学や大学院進学を考える方は考慮すべき要素は多いと思います。しかしやはり、将来どんな心臓外科医になりたいかということをじっくり考えることが最重要であると思います。大学でポジションを獲得しacademic surgeonを目指すのであれば学位が必要ですし、臨床家として技を極めたければ臨床で留学すべきであると思います(academic surgeonに技が必要ないという意味ではありません)。ただ、個人的にはこの研究留学で得た経験は、臨床においても立案・計画・実行・評価といずれの面でも役に立っていると思っています。
私は今現在も自分の将来像を常に模索し、その時々で自分に何が必要かを考え、行動することを試みています。JAYCSを通じて様々な先生方と知り合うことができ、いろんな刺激を得ることができました。今後も皆さんと意見交換をしながら自分の考える理想の将来像に向かって着実に進んでいきたいと思います。

以上、とりとめもなく書いてしまいましたが、何らかの参考にしていただければ幸いです。お問い合わせ等ございましたらmiyagi.tsrg@tmd.ac.jpへご連絡ください。JAYCSも一周年を迎え、高林代表の下、精力的に活動しております。JAYCSを今後ともよろしくお願いいたします。

Dr.Russell(遺伝子治療の権威)・筆者・Dr.Mcgregor